能城律子 プロフィール
東京生まれ。貿易会社の仕事をきっかけに120カ国以上旅する。
[1970年]35歳の時に子宮がんの手術を受ける。
[1972年]世界に先駆け、ホテル内の託児所「タイニー・タッツ」をホテル・ニューオータニに開設。
[1978年]43歳の時に、乳がんで再び手術。テニス、スキーほかスポーツ好きの生活を断念。その後、唯一残された車好きが高じてラリー参加を決意、トレーニングを積む。
[1993年]58歳で国際A級ライセンスを取得。
[1995年]オーストラリアン・サファリに出場。完走し、女性部門1位、総合9位に。
60歳で、パリ・ダカールラリーに参戦。完走を遂げ、59位に。
[1996年]マスターラリー(パリ〜サマルカンド〜モスクワ)に参戦。1万キロにもの過酷なコースを完走。
[1997年]
乳ガンが生きる力をくれた―「余命三年」の宣告をのりこえ過酷なラリーにいのちを燃やす愛と勇気と挑戦の人生
エジプトラリーに出場。T-1部門3位、総合7位に。
「エイボン・スポーツ賞」を受賞
パリ・ダカールラリー参戦。モーリタニアで武装集団に遭遇、他の選手とともに所持品を強奪される。
[2000年]マスターラリーでコースを逆送してきた車と正面衝突。肋骨2本骨折、顔面打撲等の重傷を負って緊急入院
[2001年]重症から回復直後、パリ・ダカールラリーに参戦。
[2004年]1月 イラクへボランティア物資を現地に入り届ける
[2005年]再びイラクへ 冷蔵庫、シューズ等を現地へ届ける
[2006年]3月 北海道 増毛町の子供達と交流 桜の木300本植樹
■最高齢の国際ラリードライバー
59歳から挑戦開始。世界最高齢の女性国際ラリードライバー。トップクラスのドライバーが参加する「パリ・ダカールラリー」など、全長1万キロもの過酷な国際ラリーに毎年のように出場。
亀のように粘る走りや不屈の挑戦に対して、一流ドライバーであるバネタン選手は「ラリーのシンボルのような人」と親しみをこめて称した。
■起業家・実業家
貿易行を皮切りに20歳過ぎからビジネスを開始。30代にかけ、当時としては巨額な3000万円の借金を事業で負うことになるが、女手一つで返済。昨今のベンチャービジネスや若手起業家ブームの遥か20数年前に、 世界初のホテル内の託児所をホテル・ニューオータニ内に開設。延べ16万人の子供たちと触れ合う。
■病気のデパート
幼いころから「病気デパート」。小学4年生で肺門リンパ腺をわずらって以来、胃潰瘍、30代で子宮がん、40代で乳がんのため両乳房を失う。2回の肝臓結石、喘息、肺炎、両肩関節障害、股関節脱臼、 胸郭出口症候群(心臓からの太い血管がつぶれて両手まで血液が届かなくなる病気)などと闘う。障害者でありながら、健康な男性でも音をあげる過酷なラリーに参戦。 「痛みも生きているってことの証」と、今は病魔たちとも仲良く付き合っている。
■国際宅配おばさん
レースで訪れる先々での人間ドラマもさまざま。スタート地点に群がり物を盗む子供たちも・・・。
「何かしなければ」と、砂の上に木の枝で絵を描いているリマやセネガルの子供たちを見て鉛筆を届けることを決意し、即実行に移す。
「トンボ鉛筆の方が2万本くれたんです。それを日本郵船が無償で運んでくれました。みなさまから預かった愛情を渡しに行く。私は国際宅配おばさん」
ホテルのコンピュータ室から出る紙も白い部分を切り取り、大きさをそろえて集める。不用品の毛布や、ボランティアが集めてくれた衣類などもラリーのコースに沿って配る。
色鉛筆やスケッチブックに喜ぶアフリカの子供たち。「苦しんでいる子供たちにミルクと石鹸を宅配するんです。さまざまな国の救援物資が港に放置され、必要としている人々の手元に届いていないのを何度もこの目で見てきました。
だから自分がその手で最終目的地まで持っていくんです」

